マグリットと私と陶芸

現代陶芸 陶芸家 毛塚友梨 Yuri Kezukaのブログです

マグリットと私と陶芸

私が美術に興味を持ち始めたのは、小学3年生の時です。
学校の授業でマグリットの作品に出会ったのがきっかけです。

それまで、美術の教師だった母の影響で東京の美術館に
印象派などの洋画や日展をたまに見に行っていたのですが、私はあまり絵に興味がありませんでした。

ある時、学校の図工の時間で「名画とコラボレーションしよう」という授業がありました。
学校の図書館で有名な画家の画集を開きながらどの絵をモチーフにしようか探していました。

そこで私が見つけたのが「ルネ・マグリット」の画集です。
ご存じない方のために簡単に説明しますと、マグリットはシュールレアリスムの画家です。
名前は知らなくても、皆さんどこかで見かけたことがあると思います。

マグリットの絵を見たとき、幼い私は衝撃を受けました。
書かれているものが、現実にはあり得ない光景だったからです。

「こんな絵だったら美術館で見ても面白いのになあ。」と思っていました。

ルネ・マグリット『説明』
デジアート福岡より引用

その課題で私はマグリットの画集から「説明」という作品を選びました。
ビール瓶の上の部分がニンジンの先になっている作品です。
子供だった私は、その作品にとても魅力的を感じたんですね。

なぜなら、意味不明だったからなんです。

その作品と題名の繋がりがよくわからないし、
なんでビール瓶と人参を一緒にしたのかも全く想像がつかなかったんです。
未知のものに触れるワクワク感でいっぱいでした。

それからも、シュールレアリズムの作品が好きで、
いつかはこんな風に皆を驚かせるような面白い作品を書きたいなと思ってきました。
私の子供の頃の夢は画家だったので。
美大予備校に行き始めて、自分に絵のセンスが無いことに気付くのですが(苦笑)

マグリットに惹かれる理由は他にもあって、
同じシュールレアリスムの巨匠、ダリなどの絵から見られる天才の鋭さというよりも、
マグリットの絵からは柔らかな印象が感じ取れるんですね。だから見てて落ち着きます。

著名なアーティストにありがちな派手な生活や女性関係などはなく、
中流階級の生活を送り、ただ一人の女性(奥さん)と生涯共に過ごしたマグリット。
制作はキッチンの一角で行っていたそうです。
そのような人間としての安定感と普通の人っぽいところも親しみを覚えるところです。

 

その後の人生、やはり私は美術の道を選ぶことになります。
油絵を勉強していた母の影響ですね。
中学生の時は美術部+絵画教室でデッサンを学んでいました。
漫画とかの絵を描くのは好きだったけど、石膏デッサン静物デッサンは正直あまり面白くなかったです(笑)
大学受験までこの両者とは長い付き合いになるわけですが、、、

高校では作新学院の美術デザイン科に入学。
この時が人生の中で一番楽しかった!
今まで同じような趣味の友達には会ったことが無かったけど、いろんな学校からの変わり者が集結して、
自分を隠さず同じものを「いいね」って共感できるのは最高でしたねー。
この時もシュールレアリスムの作家の絵などを含む幅広い作家の作品を見てました。
そんな事をクラスメイトと出来るなんて、恵まれてました。
この時のクラスメートが皆さん大変ご活躍です。

そして2年の浪人期間、この時期もいろんな展示会行ったり、作品を見たりして、
夢でも制作しているくらいの、濃厚な美術漬けの日々を送っていました。
私は紆余曲折あって工芸科の受験を決めたのですが、あまり工芸には興味が無かったんです。
陶芸家の父の影響もあり、陶芸をやりたいけど、好きなものは近代以降のファインアートでした。
仲良くしていた友人はほとんど油絵科の人達だったし、その人たちと好みも合っていたと思います。

2年の浪人生活を経て、晴れて東京藝術大学に入学しました。
しかし、入学してから気付いたのですが、

私の趣向が、全く工芸に向いていない(汗)

自分を装う日々が続きました。それでも、どうにか馴染むように努力しました。
アールヌーボー、アールデコなど皆が好きな傾向の工芸 作品を見てみたり。
勉強になりましたし、お友達と展示に行ったりするのは楽しかった。

けど、やっぱり「おしゃれ」は私の肌には合わなかった。

私が求めているのは「美」とか「おしゃれ」ではないということに気づいたんです。
例えるなら、フェルメールではなく、ジャクソン・ポロックなんですね。
美しくなんかなくていいので、表現することが大切だということ。
もっとパンクな精神をぶつけるように作品を作りたいと思うんですね。

あと、私にはすごく大事な要素なのですが、
工芸には「不思議」が足りない、、、全くの「不思議不足」です。
それと、「おかしさ」も足りない。真面目すぎる。
シュールレアリスムの作家達が作り上げる、摩訶不思議な世界観を、まず工芸で見つけることはできません。

芸大工芸科入試の立体構成では、現実であり得る配置でしか構成をしてはいけないのですが、
なぜバナナが直立してはいけないのでしょうか。
なぜ手の模刻の指は5本じゃなければいけないんでしょうか。

まあ、そんなことしたら試験に落とされていしまいますから、入試のルールを守りましたが、
作品でそんなことばっかりやったら、絶対に面白くないなー。と思っていました。

その後、大学では陶芸を専攻しましたので、課題はろくろの課題の連続なのですが、
大学生活の終盤になってくると器では自分の思うことを表現出来ないということが明確になりました。

やっぱり、私は最初にマグリットの作品に出会った時と変わらず、
「不思議で面白い作品をつくりたい」という思いがありました。
そして、表現方法は平面でも他の素材でもなく、陶芸がいい

大体そんな方向性が決まったところで、私の少し不思議な陶芸 作りが始まったのです。